お通夜に参列して感じたこと。

日記帳
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先日、先生のご主人さまのお通夜に参列してきました。

前回、お通夜に参列したのはいつだろう。喪服をチェックしながら考えたら、2年前の春で、才能ある自分より年下の女の子だった。あの時は本当に悲しかった。まさか、まさかと信じられなくて、お通夜でお棺にいる彼女を見て激しく衝撃を受けたのでした。

このたび身罷られたのは、93歳のおじいちゃま。御遺影を拝見して思ったのは、御別れはとても辛い事だけれども、長生きをされた方のおとむらいはまだ受け入れやすいことだと。

ご主人さまと自分は、お会いした事はありませんでした。ですが喪主を務められたご子息が生前のお父さまの事をお話しくださり、家族を大切に愛された、正義感のある器の大きい方だった事が伝わってきました。

そして、家族席には礼服で座る先生がおられました。ジッと御遺影を見つめるお姿には、こちらの胸がギュッとなりました。お互いが最愛のパートナーであられたことは、先生から伺う今までのふとした会話から推察出来ることでした。

先生は小柄で細面で一見はかない印象のある方ですが、御心は強く御自身にも厳しい人。若輩の自分には想像もできないですが、ご主人との御別れをどのようにお心に折り合いをつけられようとなさるのでしょうか。

お焼香で一礼をすると、先生はぱっといつもの笑顔を見せてくださり「ありがとうね」とご返礼をくださいました。

御葬儀のために、ここ2週間ほどお稽古をお休みにされていましたが、早速来週から再開されるとのこと。私たちがお稽古に励むことも先生の張り合いとなるでしょうから、いっそう務めようと思いました。

また余談ですが、

こういった場所での振舞いに、おどおどとする事がなくなったのは、年齢や経験に加えてお茶道のおかげでもあると思います。服装や所作に少しくらい間違いがあっても、礼を尽くす気持ちが伝われば良いのだ、って、気持ちを伝える自信が身についたと言うかね。

この度は哀しみの席でしたけども、逆に慶事でも同じこと。

礼儀知らず、というコンプレックスを少しだけ乗り越えたような気がしました。

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