御釜さえあれば、の変わったお茶人のこと。

茶道
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こんにちは!

inokomochiブログです。

今日は安土時代のお茶人の話です。

お茶道は室町時代から始まった、と何かで読んだ事があります。そして戦国から江戸へと移り変わる時代、茶道具の価値は小国一国にあたいするとも言われていました。当然、権力の象徴としてお道具はやり取りされていましたし、茶道具が元凶であっさりと命を落とすような事もあったようです。

利休さんの時代のお茶人で丿貫(へちかん)さんと言う人がいました。その頃の武士はお茶を嗜むことがステータスのようでしたので、お道具集めにも熱心なのが普通だったのではと思います。

そういう世の中の流れのなか、丿貫さんのお茶道具といえば御釜たったひとつ。その御釜でお湯も沸かせばお雑炊も炊いたとか。

都心を離れて山科という在郷に住みつき、現代で言う、ミニマリストでしょうか(^^)。と、書いたりすると禅僧のような印象がありますが、後日談を読むと一概にそう言えるような人柄でもないようなひねくれ者のような感じもあり。

侘び茶を整えた利休さんとも交流があったとかで、侘びも行き着くと御釜ひとつになっちゃうのかしら。

究極の侘びのお茶は大変美味しかったそうです(^ ^)

ああ、たまにお茶の知識みたいなことをテーマにすると、文章が着地できない(笑)。しかも大御所、利休居士を差し置いて丿貫さんを取り上げるなど、ヘボいもいいところ。こういう部分で初心者ぶりが露呈しちゃいますね。悪しからず。

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