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inokomochiブログです。
今日は3月のお茶席に時々登場するお花、菜の花と利休さんのお話ちょっとだけ。
3月は利休居士が腹を召された利休忌があります。1591年旧暦2/28がその日ですが、今のカレンダーでは3/28。利休居士の流れをくむ京都の三千家では毎年持ち回りで追善法要とお茶席を設けます。
菜の花はその利休忌で飾られるお花です。自刃の際に茶室に飾られていたのだったか、居士が好きなお花だったか、、理由がアヤシイのは恐縮ですが(^^;; とにかく特別なお花で、利休忌までは飾らない、お約束のあるお花です。
素朴で綺麗。この時期の黄色のお花は、なんだか待ちわびた春がやっと来たかのような嬉しい気持ちがするものです。
時の最高権力者であった秀吉公の側に控えて、茶頭ながら内内の事は利休に尋ねよとまで言われたほど政権内部まで食い込んでいた居士。政権争いに巻き込まれたとか茶の趣向の相違が元で豊公の逆鱗に触れたとかで切腹を命じられます。居士は、弟子たちの助言も受け入れず助命嘆願しないまま蟄居ののち自刃しました。多分、命乞いをしたらアッサリ助けられたのではないかと思います。それをしなかったのは美意識の高さゆえ。
居士のお手によるお茶杓や職人に作らせた楽茶碗など多数、今にも伝わっています。美術館で見ることが出来ますが、その繊細な美しさといったら、その場を離れられないほどです。
その居士の追付いできない才能に豊公のコンプレックスが刺激されたのだとしたら、、、その嫉妬の苦しみは如何様だったかと思ったり。
利休居士の亡き後は、処刑されなかった未亡人の妻や子供たちが細々と系譜を繋げていて、孫の代ではまた千と名乗ります。確か徳川の世になる前に許されたはず。そしてひ孫の代で三千家へ分家しお茶道がずっと現代に伝えられております。ですから今にも利休居士の茶道を学ぶことができるのです。(^^)